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歯のお話

新年と歯

とうとうやってきた2000年。新しい1000年紀の始まりに立ち会えるなんて、私たちは実に幸運だと思います。新しい1000年の出発を記念してちよっと立ち止まって、江戸の昔の歯医者さんをたずね、先人の足跡を振り返ってみましよう。

江戸のデンタルクリ二ック

 江戸時代、当時の歯科医療は、歯や口の病気の治療をする「口中医」、入れ歯を作り、修埋する「入れ歯s師」、さらに治療と入れ歯作りの両方をこなす「歯いしゃ」と呼ばれる人たちが担当していました。歯科大学はもちろんありませんから、親方に弟子入りして修行し一人前になる、という方法で技術や知識を習得していたようです。
 幕府お抱えの「口中医」とは違って「人れ歯師」や「歯いしゃ」は庶氏的。なかでも松井源水(げんすい)という人は、街頭で「独楽(こま)回し」の芸を披露して人を集め、人れ歯を作ったり、歯磨粉を売ったりしていたそうです。また、居合い抜きのプレゼンテーションを見せた「人れ歯師」もいるとか。独楽回しや居合い抜きで盛り上がった後なら、患者さんもリラックスできたかもしれませんね。江戸のデンタルクリニック、さすがやることが粋。

木製入れ歯に象牙の歯

 おもしろいぱかりでなく、江戸時代の人れ歯作りのテクニックはかなりのもの。技術的には、仏像の彫刻など伝統工芸と関速が深く、かなり精密な入れ歯が作られていたようです。総人れ歯の土台は木製。口の形にぴったり合うように彫刻し、奥歯には釘、前歯には象牙や貝、鹿の角などで作った歯がとりつけてありました。土台の木に象牙というまったく違う材質をはめ込むための彫り込みなどに、奇せ木細工のような伝統工芸の技が駆使されていました。よく噛めて、しかも美しい歯を取り決そうという気持ちが、そんな工夫にあらわれていますね。
 さらに、歯の清潔や口臭にも大いに関心が持たれ、歯磨き粉が広まったのもこの時代。江戸時代の人たちは、口元のおしやれにかなり敏感だったようです。
 いにしえの人たちの良いところ、しっかりと未来に伝えていきたいですね。

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